屋久島ガイドが調べた縄文杉の歴史と人気について

縄文杉 トレッキング ガイドツアー

縄文杉ルートの魅力とは?

①スギ科スギ属では最大の生き物
②杉とは思えない異様な樹形
③発見されてから現在までに、多くの人々によって物議をかもすなど、話題性が豊富にある
④樹齢が特定できず謎のまま
⑤縄文杉に出会うまでの森全体の植生や巨木の数々

※あくまで、「島あそび」の個人的な見解です。

大きさ・樹齢について

縄文杉:樹高25.3m 胸高周囲 16.4m 標高 1300m 樹齢2170~7200年(諸説あり)
大王杉:樹高24.7m 胸高周囲 11.1m 標高 1190m 樹齢3000年
ウィルソン株:胸高周囲 13.8m 標高 1030m 樹齢3000年
ウィルソン株(伐採された大きさ):樹高42m 胸高周囲 4.2m 樹齢2000年程

※あくまで、推定された樹齢となります。

著名木が世に知られた経緯などについて

縄文杉 トレッキング ガイドツアー

ウィルソン株について

1914年(大正3年)2月17~27日 アーネスト・ヘンリー・ウィルソン(職業:プラントハンターとして知られ、中国・日本全国・琉球・インドなどを調査)が植物調査・採取のため屋久島に訪問

アーネスト・ヘンリー・ウィルソン ウィルソン株

出典:https://s.webry.info/sp/paraibablue.at.webry.info/201709/article_3.html

※因みに、ボルネオ島の最高峰・キナバル山の花に魅せられ頂を目指したヒュー・ローや、江戸末期に長崎出島のオランダ商館に医師として来日して、日本人に最新の医学を教えたシーボルトもプラントハンターとしての活動をしている。

当時ウィルソンは、案内人を連れて屋久島の森の奥深くへと入り込んで調査していると、突然の大雨が降ってきました。

そこで、案内人に連れられて岩穴で雨宿りします。

火をたいて、濡れたものを乾かして一時間程すると雨がやみ、外に出ます。

そして、雨宿りした場所が岩穴だと思っていたが、よく調べてみるとそれが巨大な切り株(=大株)であったことに驚きます。

(その切り株が、後に島民によってウィルソン株と呼ばれることになります。)

1918(大正7~12年)~1923年  田代善太郎(生態系を保護するという考えを持ち込んだ方)は、ウィルソンと面会して屋久島の調査に傾倒する。

ウィルソン株についての調査や、縄文杉の存在を予見している。

※因みにウィルソン株を伐採したのは、楠川集落の牧五郎七といわれている

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大王杉について

1952年(昭和27年) 国立科学博物館にいた中江猛之助(なかえたけのすけ)の一行が屋久島の調査で大王杉を発見(後に行った炭素同位体法で樹齢3000年以上と推定されている)

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縄文杉について

岩川貞次 縄文杉

出典:http://www.asahi.com/area/kagoshima/articles/MTW20160518470470001.html

1966年(昭和41年)5月28日 旧上屋久町の役場観光課:岩川貞次(42)さんが、古老の伝承を確かめるために巨木を探し周り、ついに大きな杉を確認
※岩川の「岩」の字と大いなる岩のような木ということで「大岩杉」と名付ける。

1967年(昭和42年) 元旦:南日本新聞に「生き続ける縄文の春」というタイトルで発表される。
発見当時:推定樹齢3000~4000年
※上屋久町が九州大学の真鍋大覚教授に大岩杉の樹齢調査を依頼

1967年(昭和42年) 9月頃:推定樹齢7200年の結果が真鍋教授から上屋久町へ通知される。
※古代気象と成長量の関係から推定

1967年(昭和42年) 10月1日:町報かみやく167号で紹介。

1968年(昭和43年) 8月2日:南日本新聞で「縄文杉と名づけられた」の文字

縄文杉の由来
①真鍋大覚教授の7200年説により縄文時代から生きているからという説
②縄文式土器の縄目模様に似ているからという説(取材した新聞記者によって)
縄文杉 モデル

出典:http://www.asahi.com/area/kagoshima/articles/MTW20160518470470008.html

1983年(昭和58年)  環境庁作成の環境週間ポスターが全国の駅や役所といった公共スペースに貼られ、その効果で縄文杉の知名度が上昇

1984年(昭和59年) 縄文杉が有名になるにしたがい、7200年説に対して国内外の科学者から異論が出されたため、林野庁の委託を受けた学習院大学の木越教授により炭素同位体法による年代測定が行われた。(結果 1000~2170年という数値に)
※試料の採集位置(腐食によって幹の中が空洞になっていて、最も古いサンプルが採れなかった。)と年代との間に一定の関係が見られなかったため、「今回の測定結果から直ちに縄文杉の樹齢を推定することは困難であるが、合体木ではないかという推定は成り立つ」ということで合体木説が提唱された。
しかし、これも鹿児島大学農学部の林助教授による遺伝子研究の結果で、合体木説は否定されました。

 さらに近年では、鹿児島大学の田川氏によって、7300年前(6300年前という説もあった)の幸屋火砕流によって折れてしまった古い縄文杉の上に、新たに二代目として着生した杉が幹ごと覆いつくしたのが現在の縄文杉ではないかと推定している。

1984年(昭和59年) デッキ正面より、左側に着生していたヤマグルマが積雪により折れる。

1987年(昭和62年) 縄文杉を世に広めた岩川貞次さんが亡くなる(享年83歳)
※「大岩杉(縄文杉)より、もっと大きな万年杉を知っちょるが、おいは誰にも言わん」と周囲に語っていたといわれる。

1993年(平成5年)  屋久島が世界自然遺産に登録

1996年(平成8年) 縄文杉展望デッキ設置

縄文杉 いのちの枝

出典:https://www.360navi.com/46kagosima/02yakusima/09nature/

2005年(平成17年12月) デッキ正面より、右側の枝が積雪により折れる
※数年後、「いのちの枝」として町立屋久杉自然館に保存展示される。

最後に

屋久島に観光に来た方で縄文杉を見に行かれる方は、縄文杉トレッキング前、もしくはトレッキング後にでも一読してみると、屋久島の事が深く知れて良いのではないでしょうか~(=゚ω゚)ノ


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